黄泉の国から命からがら逃げ帰った伊邪那岐命(イザナギノミコト)は、体にまとわりついた死のけがれを嫌い、「身を清めよう」と、筑紫(今の九州)の日向(ひむか)にある川辺へ向かいました。
杖や帯、衣服を脱ぎ捨てるたびに、そこから神が生まれます。そして川の流れに身を沈め、水で体を洗いすすいでいくと、そのしぶきからも、けがれを祓う神や、海の潮流を司る神が次々と生まれ出ていきました。禊(みそぎ)とは、水の力で心身を清める神聖な行い。その一つひとつが、新しい神を生み出していったのです。

そして、いよいよ最後の場面。左の目を洗ったとき、まばゆい光とともに天照大御神(アマテラスオオミカミ)が生まれました。右の目を洗うと、静かな光をたたえた月読命(ツクヨミノミコト)が。そして鼻を洗ったとき、荒々しい力を持つ建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)が生まれ出でます。

この三柱は、数ある神々の中でもとりわけ貴い「三貴子(サンキシ)」と讃えられました。伊邪那岐は大いに喜び、それぞれに世界を分け与えます。天照には光あふれる天上界・高天原を、月読には夜の世界を、須佐之男には広い海原を。こうして、太陽・月・嵐という、この世界を動かす大きな力の担い手が定まったのです。

三貴子を得た伊邪那岐は、大きな役目を果たし終えたかのように、物語の表舞台から静かに退いていきます。ここから神代は、太陽の女神・天照大御神を中心に回りはじめます。けれど、海原を任された弟・須佐之男は、その務めに背を向け、亡き母を慕ってただ泣きわめくばかり。姉と弟のあいだに、やがて大きな波乱が巻き起ころうとしていました。